俺、斜めに見てます。

物事を自分の解釈でまとめたり、好きなものを過去の自分に紹介する日記。普段は電話代行や愚痴聞きをやっているので、興味のある方はリンクにあるココナラか、ツイッターDMからご連絡ください。

ストレスを抱え続けて仕事をするのは無意味

仕事でなくとも、生きていく上でストレスをゼロにするのは不可能です。そして、日々の生活の中でストレス値は上がったり下がったりしながら自分のメンタルに影響を与えています。時には適度なストレスがあった方が自分の成長に繋がるし、(プレッシャーともいいう)後から考えるとなんでもない事なんて山ほどあります。

 

しかし、ストレス値がMAXに近い状態を続けながら生きていくのは無意味だと最近感じています。例えば月収が30万円で、毎月自由に使えるお金が10万円だったとして、ある人はストレス解消の為に酒代に10万円使い、ある人は自分のご褒美という大義名分のもと必要あるかないか分からない買い物をし、ある人は「食」に取り憑かれて世の中の美味しいものに課金しまくったりします。

「ストレス」が原因で以上のようなお金の使い方をしている場合、ストレスがなければお金を使う必要がないのでは?と感じます。お金を使いたい目的があるからストレスを抱えてでも仕事を頑張る。という意識があるなら筋が通ってる気がするのですが。

 

仕事が嫌でストレスが溜まる→発散する為にお金を使う 

お金を使いたい目的がある→ストレスがあっても仕事を頑張れる

 

両方とも毎月貯金残高が0になる使い方をしていたとしても、結果に辿りつくプロセスは180°違う気がします。

 

ストレスを減らす努力をするのは大切で、それを怠ると毎月〝穴を掘って埋める〟作業を繰り返すことになります。

 

穴を掘り続けていつかブラジルに辿り着けるような人生にしたいものです。

 

 

周囲に愚痴を漏らすことで自分が思っている50倍くらい信頼を失う

「愚痴」「悪口」「陰口」と、文字して並べてみるとネガティブな言葉の代表格だなー思えます。文字を眺めるだけで気が滅入る。

あなたの周りにはそういう言葉を漏らす人はいないだろうか。逆にあなたがネガティブな愚痴をこぼす人だった方だったとしたら注意したほうがいいです。

愚痴をこぼすことで周囲から信頼を失い、良い事は1つもありません。しかもネガティブな愚痴を漏らす本人が思っているほど、大きな信頼を失っています。

私自身も「愚痴ぐらい聞いてくれよ」と言われたことがありますが、ネガティブな言葉を周囲にばらまく人は愚痴の殺傷能力について全くわかっていません。

しかも、たちのが悪いのが、そういう人に限って人の愚痴は聞かないような人が多いように思います。

以前勤めていた会社の上司がマイナスな言葉を普段からばらまく人でした。

 

「あの芸能人は人気があるけど整形だから嫌い」

「お金を持っている人は悪いことをしている」

「あーお金が降ってこないかなー」

「あの人気があるけど私はダサイと思う」


改めて文字に起こしてみると、妬み嫉みのオンパレードで嫌悪感が蘇ります。毎日、独り言のように愚痴や悪口をつぶやいていました。

最初の頃は「そうですよねえー」と適当な相槌を打っていたが、知らず知らずのうちに自分の思考もネガティブになっているのにその時は気づいていませんでした。

なんと、そのままネガティブな言葉を聞いている日々が続くと、今度は自分から積極的に悪口を言うようになるのです。

悪口なんて言おうと思えばいくらでも思いつきます。人間は良い話より、悪い話の方が共感しやすいからです。

近所のおばちゃんが集まって噂話をしたり、テレビで毎日のように芸能人のゴシップを垂れ流している様をみると、世の中はネガティブな話題の方が関心があるんだな。と感じます。

 

自分の肌感覚では、優秀な人は「愚痴」「悪口」「陰口」を嫌うので、普段からネガティブな事を言っていると、そういった人達から距離を置かれます。

会社であれば人事評価が知らずに下がるかもしれないですし、友人関係であればコミュニティーの中で影響力がある人が「あの人はネガティブな事しか言わない」と逆に言いふらされるかもしれません。

 

ネガティブ発言は「百害あって一利なし」です。

 

私に愚痴聞き相談で連絡をしてくれる方たちは優秀な人が多いです。社会的信用が高い職業をしていたり、所得が高いだけでなく、お金を払って愚痴聞き相談をする理由が合理的なのです。

 

「今夜は職場の飲み会なので、先に愚痴を発散してお酒を飲んでボロを出さないようにお電話しました」

 

「愚痴を言う人が周りに多いので、自分のメンタルが下がっています。名前も顔も知らない第三者にお話して気分転換をしたいです」

 

「職場で仕事以外のストレスが多く、爆発しそうです。狭い業界で仕事をしているので会社で悪口を言うと、転職したとしても後々のキャリアに響くのでお電話しました」

 

などなど。

 

自分の周りにネガティブな愚痴を言うリスクについて理解している方が多いのです。愚痴を言う為のお金は投資と思っているのです。

 

現代はネット上でもテレビでも、マイナスな言葉で溢れています。意図的にそういった言葉や情報から距離を置かないと、メンタルだけでなく体に不調をきたす場合もあります。

自分からマイナス発言をすれば、知らない間に信頼を失います。直接的に「愚痴はやめなよ」と言ってくれる人は少ないので、知らない間に信用が落ちるというのがポイントです。

 

愚痴が言いたい時は友人に美味しいご飯をご馳走して聞いてもらいましょう。

 

 

 

普段観ないテレビをダラダラ流していたら、メンタルが落ち込むと再確認した本日の朝

なんとなく音がないと寂しいので、BGMがわりにテレビをつける方も多いと思います。特に、朝のテレビ番組は世の中で起きているニュースを知るためにも有効な部分はあります。

自分自身はあまりテレビを観る事は無いのですが、今日久しぶりに朝のニュースを見ていたら心が病みました。

あまりにもネガティブなニュースが多く、自分が生きている世界が悲しいものだと刷り込まれているような気持ちです。このまま観ていたら気持ちがどんどん沈んでいくんではないかと思い、すぐに電源を切りました。

普段テレビを観るときは、あらかじめ自分が見たい番組を録画したり、ネットでの再放送で観たりしています。

ニュースはネットニュースを読むが多いのですが、同じニュースでも、動画や音声で観るとより気持ちが落ち込むと思いました。

もちろんポジティブで明るいニュースもあるとは思いますが、全体の割合としては悲しい事件やネガティブなニュースが多いのではないかと思ってます。

生活していく中でネガティブな情報を必要以上に入れるのは、精神衛生上良くないのではないかと今日の朝強く感じました。

外部から受ける情報で自分のメンタルが上がったり下がったりすることを理解し、情報過多の時代だからこそ必要な情報を自分の意思で取りに行く必要性があると思いました。

 

テレビを見るな過去の自分。てかテレビある?未来の自分

やりたくない仕事を辞めないといけない理由

渋谷のTSUTAYAが入ってるビルにスタバがある。そこからスクランブル交差点を見ると、人の多さにいつも驚きます。

 

初めてその景色を見たのは17歳か18歳だったような気がしますが、この1人1人に人生があるのか。と思ったのを今でもよく覚えています。

 

2020年を目前としている現在。昔から100%変わらない事が2つあります(他にもたくさんあるのでそこはツッコミを入れないでほしい)

 

人は絶対に死ぬ事と、時間は誰しも平等で1日24時間しかない事です。

 

世界一の金持ちであるAmazonのジェフ・ペゾスは、2019年時点で資産が約12兆円らしい。

 

「ジェフペゾス 資産」とググったら出てきました。

 

そんなジェフペゾスと、私たちが持ってる1日あたりの時間の量は変わりません。

人間が必ず死ぬ事を考えると、ジェフペゾスの時間残高より多くの時間を所有している人はたくさんいます。これ記事を読んでるあなたも、世界一金持ちのジェフペゾスより時間残高が多いかも。

 

なんという事でしょう。

 

もし時間が取り戻せるなら、世界中の億万長者達は全財産を差し出しても買い戻したいと思うはずです。

 

そんな貴重な人生の時間を、嫌な仕事や、やりたくない仕事に使ってはいけないのです。

 

自分が望んでいない仕事をするという行為は、社会の損失と言えます。

皆が得意な事、やりたい事をやった方が結果として喜んでくれる人間も多いのではないでしょうか?

 

さらに、職場の人間関係や過酷な労働環境が嫌で仕事が辞めたいなんて、もっとバカげています。

そんな理由は、もはや仕事内容と関係ないので、一刻も早く辞めましょう。

 

辞めた後の心配をする方が多くいますが、辞めて生活が出来ないからといって自ら死ぬわけにはいきません。

 

自分でなんとかして考えるはずです。

 

考えるのが面倒な人、人との関わりが面倒な方はホームレスでも良いでしょう。

 

現役のホームレスの方は皆、生活保護の支給を断るようです。それくらい人と関わりたくないならホームレスの方が幸せなのです。

 

自分の貴重な人生の時間を嫌な事に使う必要は無いので、仕事に行きたくない方は明日辞めましょう。

 

辞めた後の事は自分で勝手に考えるはずです。

 

今仕事が辛くても、続けていたら成長が見込めたり、良い事があると確信している方は、明日もゴリゴリ働きましょう。

 

言い出せない方。私にご依頼頂ければ、一発で退職させましょう。ご連絡下さいませ。

同業者の方から愚痴聞き相談の電話をいただいた

 プロフィールにもあるように私は退職代行、電話代行、愚痴聞き等の電話サービスを提供しているのですが、同業者の方(今後先生と記述します)からお電話いただく機会がありました。

はじめての経験だったのでどんな話をされるのか非常に緊張しました。結果的には2時間ほどお話しさせていただいたのですが、学びと驚きと諦めと再確認がありましたので、その時の様子を起承転結的なノリでまとめてみます。

 

お互いを先生と呼び合うシュールなお電話でした。

 

 

学び

 

 

お電話を頂いてすぐに感じたことですが、普段から電話で相談をしているプロの先生でも愚痴をこぼしたくなるんだ。という率直な感想です。

 電話を受けてすぐに聞いたところ、悩みを毎日聞くのは相当ストレスが溜まるようで、普段から相談を聞いていると段々とメンタルが落ちてくるのだそうです。ネガティブになって仕事に支障が出ないように愚痴聞き相談はよく利用されると言っていました。

 様々な電話相談がありますが、占いにしろ、相談にしろ、愚痴聞きにしろポジティブな話を聞く機会は多くありませんから、ネガティブな言葉は他人の精神を削る行為なんだと改めて学びました。

 

そして、電話相談で得た報酬を電話相談で使う行為は、飲み屋で働いている人が別の飲み屋にお金を落とすような状況に似ているなあ。と冷静に思ってました。

 

 

驚き

 

 

電話で愚痴を聞いた時間は2時間を超えました。とにかくストレスが溜まっていたそうで、電話越しから愚痴の実弾が無数に飛んできました。

よっぽど身を削ったお仕事をされているのだなと驚きました。

 というのも、自分自身は愚痴を聞いても精神が参ったり、ストレスが溜まることはありません。相談される方がどのようなプロセスを経て愚痴聞きの電話をすることになったのか興味があるからです。

 お話を聞いていると、「それは僕でも愚痴りたくなりますよ」という内容がほとんどなので自分も共感してしまうことがほとんどです。

 稀に共感できない場合もありますが、「そのような視点は自分にはないので勉強になりました」とお伝えするような尖った愚痴ですので、刺激になるのです。

 

先生は真面目な方でしたのでかなり参っているようでした。同じ電話サービスでも人によって違うんですな。

 

 

諦め

 

 

私自身は、お話を聞くだけのことが多いですが、お電話をくれた先生は相談者の方にアドバイスを求められることも多いようです。

やはり毎日様々な相談を聞いている先生だったので、2時間の話の中で話もロジカルでわかりやすく、ときには笑わせてくれるような話のスペシャリストでした(こっちが電話したんだっけ?と思うくらい面白い先生)

そのような先生が過去の経験と高いコミニケーション能力を駆使してアドバイスをしてもなかなか聞いてくれない方が多いようです。

先生も、なかなか話を聞いてくれない方が多く諦め気味でした。

やはり、感情的になっている相談者の方は理屈でお話ししても話自体を聞かなかったり、分かってもらえないことが多いようです(自分自身が愚痴聞きをする際はそういった事は少ないです)

思い返せば、今までの人生の中でどんなに話をしても考え方が交わることがない人は私の周りにもいたので、そういう人たちは諦めて遠ざけていこうと先生の話を聞いて決心しました。

 

もちろんお電話いただいた方にはいくらでもお話を聞きます。お待ちしております。

 

 

再確認

 

 

どちらが相談をしているかわからないほど学びがあったり笑わせてくださる先生でしたが、お話しする中で再確認できた部分がありました。

それは電話を使った占い、愚痴聞き、相談などをしたとしても結局行動するのは自分しかいないということです。

自分自身、何年か前に電話占いで何万円も使った経験があるのですが(どうぞどうぞキモいって罵ってください)当時は他人任せで、占い師の先生にどうにかしてほしいと言う気持ちがあったと思います。

さらに感情的になって冷静さを失っているので、先生のアドバイスも素直に聞くことができず、さらに泥沼にはまっていきました。

電話で先生の愚痴を聞く中で、過去の自分に言われているようで少し笑いましたが、「やっぱり最後は自分で動かなければいけないですよねー」と心から再確認できました。

 

 

まとめ

 

 

とても勉強になったので、どっちがお金払ったんだっけ?となってる。

自分からBチームに行けば、相対的幸せを感じられる

野球、バレーボール、バスケットボール、サッカー等の団体スポーツを学生時代にされていた方は「Bチーム」という言葉になじみがあるのと思います。

 

自分自身もA,Bのどちらのチームも経験したことがありますが、そのときの心理状況を思い出してみます。

 

Aチームはスタメンやレギュラーで構成されていますので、Bチームに負けるわけにはいきません。勝って当然で、負ければBチームに降格する可能性があります。

一方Bチームは負けてもいいとは言いませんが、すごく気は楽でした。負けて当然と思われているので、勝ったら余計に嬉しいし、褒められます。

死に物狂いで試合をし、Aチームに勝てば、スタメンやレギュラー昇格のチャンスも待っています。

コーチにボロクソに怒られるAチーム諸君のお顔が見られるオマケつきです。

メリットはあってもリスクはありません。

 

スポーツをする中で自らBチームを選ぶことはないと思いますが、社会人になった実生活において積極的にBチームを選ぶことにより、相対的な優位性や幸せを感じることができるのではないかと思いついたので、勝手に提言させていただきます。

 

わかりやすく年収でたとえますが、自分の年収が500万円だとしたら、年収300万円のコミュニティーに移籍するのです。自分より格下(あくまで年収です。人間性はあなたがCチームの可能性もあります)の人間しかいないコミュニティーであれば優位性や相対的幸せを感じることができるのではないでしょうか。

 

2019年に完結した「闇金ウシジマくん」という漫画があります。ヤミ金業者の社長である主人公のウシジマ君が、多重債務者に高金利でお金を貸付け、お金を巻き上げるというそんな話です。

登場人物は無職の多重債務者、ホスト狂いの風俗嬢、ネットワークビジネスにはまった借金まみれの大学生など、人生詰んでるとしか思えないような人物ばかりです。

この作品は、現実世界の裏社会の方々にも絶賛されるほどリアリティのある描写らしいです。つまり、限りなく事実に近いフィクションの物語です。

そんなアンダーグラウンドな漫画闇金ウシジマくんがコミックスは1700万部を売り上げ、深夜ドラマから始まった映画は4部作で完結。

これほど大ヒットした理由を考えてみました。

 

読者は社会の底辺をはいずり回る登場人物を見て「あーまだまだ自分の方がマシだ」と思うような方も多かったのではないでしょうか。闇金ウシジマ君を読むことで、自分がBチームどころかC、Dチームに所属した気持ちになり、クズな人生を送る登場人物を見下すことによって精神的優位性を獲得したと予測します。

 

なんてそれっぽい分析してますが、自分がそのように読んでいただけです。

 

実生活でも自分からBチームに所属することによって、「コイツらよりはまだまだ自分はマシだ」と思えれば相対的な幸せを感じられます。

 

しかし、この作戦には注意点があります。Bチーム住人たちに吸い寄せられ、自分のポジションがC、Dと落ちていくことのないように意識する必要があります。人間は楽な方に進んでしまいがちなので、Bチームに所属しつつ、Aチームを目指すモチベーションを自分で作らなければいけません。

 

周りと比べて疲弊してしまう方達に、格下を見下すことで精神衛生を安定させ、虎視眈々と上位ランクのコミュニティーを目指す生き方をご提案いたします。

 

 

幸せの基準は絶対的か相対的か 

どんな時に幸せを感じるかどうかは人それぞれだと思いますが、周りのコミュニティーの中と比べて相対的に優位に立てる状況は幸せに感じやすく、逆に劣っていると劣等感を感じやすいのではないでしょうか。

 

 

スクールカースト」と言うような言葉があるように小学生の頃から勉強、運動、恋愛など周りの子と比べて、自分が今どのポジションにいるのかを肌で感じた経験は誰しもがあると思います。

それは社会に出てからも同じで、年収や役職、結婚の時期など、周りと比べて自分は優位に立ててるかどうかを幸せの基準を測る指標としている人もいるはずです。

 

島耕作も第一巻で「オッシャー!!このまま課長になれば同期で一番乗りだぜぇーー!!」って言ってました。

 

 

そんな中、幸せの基準を他人との相対評価にするリスクを冷静に考えてみました。あくまで仮説です。想像です。妄想です。

 

2018年のサラリーマンの平均年収は441万円ですが、同僚の平均年収が1000万円のコミュニティーの中で全体のサラリーマンの平均値を超えたとしても、自分なら大きな劣等感を感じます。

 

 

結婚についても考えてみました。

 

地方のコミュニティーのような(地方のイメージに偏見はなく、想像&例えです)20代前半で子供ができて結婚するようなコミュニティーでは、自分が30歳手前で結婚する予定がない場合、焦りが生まれるような気がします。

逆に30歳を超えて結婚するのが平均的な都会のコミュニティーでは、(これもなんとなくの想像)40歳前で独身でも、おそらく気にしません。

 

 

つまり、周りと比べた相対的な幸せを求める限りキリがないと言うことです。

 

当たり前じゃね?と思った方。当たり前を文章にするためのブログなので悪しからず。

 

 

最近ではネットの普及により、SNSを始めとした

 

「他人と比較してマウンティングし合おうぜぇぇ!」

 

的なツール(悪意ありまくりです)が多くなりました。

例えば、Instagramのような日常の1番キラキラした部分をアップするようなメディアにおいては、インスタ内で見栄を張るために大きな借金を抱えるような方もいます。テレビでみました。

 

 

社会生活を営む上で他人と全く比較しないのは難しいかもしれませんが、できるだけ自分の「絶対的な幸せ」を見つけ、自分は自分、他人は他人と思えるような人生のほうが確実に幸福度は高いと最近結論づけました。

 

そんなわけなので、我が道を行け過去の自分。

自分の絶対的な幸せを問い続けろ!未来の自分。